どんど焼きに行きました。思い出す親父と行った頃の事

どんど焼きがありました。

どんど焼きって長野地方だけの伝統行事?

どんど焼きという名称は長野地方の呼び名のようですが、全国的に行われている小正月の行事のようですね。

どんど焼きは正月に飾ったしめ飾りやお餅、前年のお札、ダルマなどを焼く行事です。

今年一年の無病息災、子孫繁栄、家内安全、商売繁盛などを願い、神聖な火で焼く事でそのご利益を享受する行事でその日でお餅を焼き、そのお餅を食べると一年間病気にならないと言われています。

こう言う伝統行事にはなるべく参加したいと思っています。

きっとそれは私の父親がそう言った行事に熱心に参加していたせいだと思います。

この歳になり、色々な思い出がありますが、父親との思い出は何故かとても強く記憶に残っており、自分の行動、考え方、性格の形成の根底にあり、その後の人生にも影響があるのだと気づきます。

親父は信心深い人間のようでそれが子供の私には何か誇りのような、親父を尊敬できる部分として感じていました。

何故そうなのか?

神事について子供ながら感じていた事は

正しい事をする大人と言う評価、知らない世界を知っている大人、触れてはいけない、犯してはいけない聖域、神聖なものといった恐れ多い世界のような感覚を持っていて、そのことをちゃんと行う大人はちゃんとした人、偉い人と言う感じでしょか?

だから、どんど焼きにもなるべく孫を連れて行きます。

昔は夜の7時頃の行事だったと思いますが、今は暗くなる前に開始します。

色々な社会的な世間の声に応えているのでしょう。

そうなると、昼寝を4時頃までしている孫を連れて行くのは計画的に行動しないと起きた時には行事が終わってしまうことも考えられます。

午前中たっぷりと遊び、早めの昼食をとり、昼寝にします。

どんど焼きに参加する事自体に孫の前向きで、ジジと一緒になんか楽しいことできると言った感じでしょう。

3時半頃に早めに昼寝から起こし、寝ている間に作ったお餅を焼くための仕掛け、(棒の先に針金を結び、その針金にホイルで包んだお餅を何個か付けてお餅を少し遠くからでも焼けるようにしたものです)を持ってババと孫と3人で歩いて出かけました。

こう言った3人一緒(ママは仕事です)の体験は記憶に残るものです。

歩いて行くこと自体にも意味がありますね。

会場となる公園に丁度火がともされる頃につきました。

しばらくはどんど焼きで燃やすことになります。

その間に孫と公園で走り回ったり、抱っこしたり待っていましたが

そのうちにママが仕事から帰り、公園に直接よったようで合流です。

どんど焼きのやぐらを作っている青竹が火で膨張し破裂し「バン!」と大きな音をたてます。

孫はその音が怖いようでやぐらから離れてしまします。

その爆発が何回かあると孫は帰りたがり始めました。

せっかくの行事なのでなんとかなだめ、抱っこしたり気を外らせたりしてお餅を焼くところまで待ちました。

「もうお餅を焼いてもいいですよ」との役員さんの声かけでお餅を火に投入。

10分ほどで帰りたがる孫に応えて帰ることにしました。

焼けていなかったら家の薪ストーブの上で焼けば大丈夫です。

きっと怖かったのでしょう。

「ママと車で帰る?」と聞くと「ジジと帰る」

「抱っこ!」

抱っこしてくれるジジと帰る。と言うことでしょう。

帰りはジジが家まで抱っこして行きました。

結構な重労働です。

その日は帰ってすぐに薪ストーブの上で追加で焼いて孫がおやつ代わりに食べ、その後の夕飯にも孫が全部食べてしまいました。

ゴクなので皆で分け合い食べるものですが、それもまたよしです。

おばあちゃんにひとかけらだけ食べてもらいましたが、孫があとは食べました。

肺炎、川崎病で今年2回入院した孫、

先日も熱を出し、保育園をお休みした孫が元気に一年過ごせますように。

ありがとうございました。

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