子供は愛 が欲しい。
孫の暖を見ていると子供は母親の愛が欲しいのだと気づきます。
親の体調が悪かったり、忙しかったり、心に余裕が無いと子供への対応が塩対応になります。
時には怒ってしまったり、要求に対し受け止めきれなかったり、
時にはそれは言ってはいけない事。と思う言葉も出ます。
そんな時に子供は敏感に愛情がかけられていないと感じ、受け止めています。
そう、そんな時にこそそっとジジが家庭の中を明るく、子供に愛を与えてあげるのがジジの役割なのだろうと思います。
傷を少しだけでも癒し、愛を受け取ってくれればいいと思います。
子供は愛が足りないとますます愛を要求します。
その結果、次に機会に親が愛をたっぷり与えられるといいのですが。
そうそう上手くはいきません。
その事に気付いているか、いないかも大きだろうと思います。
子供が問題を起こすのは親の愛が欲しいから。
全部が全部そうとは言いません。
でもかなりの場合は問題行動は親の愛が足りないと訴えています。
その訴えが受け入れられないと初めは愛欲しさの行動が徐々に問題行動そのものが自分のアイデンティティになっていきます。
足りないと訴えた時に受け止めることは以前以上に要求が大きくなっていますからなかなか気づいていない親には受け止めるのは難しいことだろうと思います。
そうならないように親の負担を減らす意味でも緩衝材の役割をジジがする。
それがジジの存在意義なのかもしれません。
ジジは孫を暖を溺愛しています。
ただただ要求する傍若無人な子供の要求に応えるのは愛していなければ難しいことだと思います。
そんな溺愛も家庭の中の緩衝材としては役に立つのだろうと思っています。
心の余裕を持てる、心の広さを持ち、いつでも受け止めることができることなで居たいと思います。
精神の成長と肉体の成長と経済的な成長を孫の暖の存在によってより現実的により切実に目指していかなければと思わせてくれた孫の暖に感謝しています。
暖ありがとう。
暖愛しています。
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