暖がいない生活に慣れて来たのかもしれません。
暖は私の人生で最も大切な人、時間、体験でした。
でも、暖がいなくなってから10ヶ月。
話をすることもなくなり逢うことも無くなり、暖のことを考える時間が減って来ました。
暖のことを考えると辛い、悲しい、寂しい。
だから考えないようにしています。
だから暖のことを考える時間は減り、暖のいない生活を少しづつ習慣化しているようです。
でも、暖と過ごした貴重な期間は忘れることはありません。
あの輝いていた日々は一生の宝物です。
求めても、求めても戻ってこない日々。
たまに帰ってくるかもしれません。
でもそのあとには別れがあります。
その別れが出会いよりも空虚感をもたらすます。
会いたくて、会いたくてあった時の喜びが大きければ大きいほど別れが辛い。寂しい。
いつか暖と一緒に過ごすことができるかもしれません。
未来は分かりません。
その可能性にかけて、逢った時に同じ時を過ごし、楽しむために今は生きているのかもしれません。
いろんな話ができるように。
いろんなことができるように。
暖に凄いと言われるように。
暖が憧れる漢でいるために。
父ちゃん母ちゃんはもういません。
その想いでも大切に振り返っています。
懐かしい一緒の山、きのこ採り。山菜採り。
でもそれはもう一緒に楽しむことはできません。
でも暖は生きています。
未来には一緒に楽しむことができる可能性があります。
だから、その可能性を潰さないように今を精一杯輝かせて生き、暖にあった時に楽しい、凄い、経験と話題を提供できる自分でいることが今の私にできる最大の楽しみ、生きがいです。
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