暖が来てくれました。
暖との楽しい週末、連休を過ごす事が出来ました。
畑に生きました。一緒に枝豆を取りました。
キノコ採りに生きました。一緒に金タケ、ジコボ、釈迦しめじを取りました。写真もいっぱい取りました。
一緒にトーマス機関車を線路に走らせました。
テレビを一緒に見ました。ウルトラマン、仮面ライダー。
暖は夢中でした。
一緒にトイザらスに言ってトランスフォーーマーを買いました。
でも買って来てから殆どのそのトランスフォーマーでは遊びません。
飽きてしまった?
そうかもしれません。
でも、それ以上に愛を欲しいのだと思います。
次はテレビを見ながら、欲しいものを言います。
それは家にあるものだそうです。それで今⚪︎⚪︎遊びをしたいんでそうです。
「暖そんな無駄遣いはダメだよ」
「家に持っているのに今、また買って来てそれで遊ぶなんて」
言いながら私はキノコ採りの疲れで少し眠ってしまったのですが後からもっと暖に愛情を伝えられる言い方をすべきだったと思いました。
そう、暖は物が欲しいのではなく愛が欲しいのだと。
一つわかった事があります。
暖はお気に入りのジジとババがそばに居てくれる空間を作りたいのだと。
そばに居て欲しいのだと。
愛を確認したいのだと。愛を感じたいのだと。
ジジとババのところに来て愛をいっぱい受け取って満たして帰るのだと。
きっと弟が生まれ愛情は充分に感じられないシーンがあるのでしょう。
ジジとババがいつも相手をしてくれたそんな時間は少ないのでしょう。
不足感、満たされない愛への欲求を感じているのでしょう。
孫の相手は時間を与える事なのだと思い知りました。
欲求はとめどなく、時間は全て暖の要求に応えるために使われます。
そのことに常に自分の器の大きさを試され、自分の思い通りの時間の過ごし方を阻害され、そして愛を感じ、喜びを感じる時なのだと。
翻弄され、連れ回され、欲求に応え、喜びを共有し、喜びを感じる時間。
それが暖との時間。
素晴らしい時間、かけがえのない時間。最高の喜びの時間。
今の家庭でうまく幸せの時間と空間を見つけて幸せに過ごして欲しいと願っています。
「いつでも帰っておいで。」
「ジジは暖がこの世で一番好き」
「ジジは暖が一番好き」
この言葉にも以前よりも反応しています。
言葉の意味をわかって来たこともあるでしょう。
それと今の家では感じない愛を感じたこともあるでしょう。
帰って来たらいっぱいいっぱい愛を贈り、愛で包み、愛で満たしてあげる。
それが出来る家庭、それが出来る身体、それが出来る心、それが出来る経済的自立を構築し続ける事が私のジジの仕事なのだと感じました。
日々暖に与えれる環境を作る様に努力していく事が今の生きがいなんだろうと思いました。
そしてそのことを心に誓います。
暖ありがとう。
暖愛しています。
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